コマーロムへ行ってきた - イグマーンディ要塞プロローグ編
コマーロムに着くと私は、イグマーンディ要塞を目指しました。
イグマーンディ要塞は聞いたことない人が多いかもしれません。
私もそうです。この記事を書こうとして、訪れたはずの要塞の名前が出て来ず、インターネットで調べましたから。
重箱の隅を楊枝でほじくるような、要するにあまり訪問価値の低い観光地かもしれませんが、百聞は一見にしかず。
私を魅了するのは、旅先でのリアルな空間体験です。
この記事は以下の記事の続編です。
hungaryrhapsody.hatenadiary.com
コマーロムはほんの小さな街だという印象を受けました。
建物の様式はブダペストの中心街で見かけるどのタイプとも異なり、民家と呼ぶのがふさわしい大きさで、その間を走る通りは綺麗に掃除されています。
首都であり有数の観光地であるブダペストに比べると、私が訪れたハンガリーのどの都市もまず人がかなり少ないので、街の活発さは劣りますし、レストランの数も全く違います。
一方、街が貧しくて乏しいということはありません。これまでもこの街はそういうあり方をずっとしてきて、これからもずっとそうあるだろうという、都市がしばしば原動力として採用している進歩とは異なる別のポリシーを感じられます。
コマーロムの駅から私が目指すイグマーンディ要塞へは 、コマーロムの街の中央を南北に走る大きな通りをひたすら南下することでたどり着きます。週末の昼間でも人通りは少なく、歩道は、歩行者用のものと自転車用のものが用意されていました。
要塞のあるところへ行くために、先ほどまで歩いてきた大通りの脇道を途中進んでいく必要があります。
ここを走るバスはブダペストでみるような、青や赤の長い車両のバスとは異なるのだなと気づきました。
緩やかな勾配を感じながら、未舗装の道を右に進むと、要塞らしきものが見えてきました。先ほどまで閑静な住宅街だったところから数十メートルほどのところに、軍事要塞があるのです。
丁寧に削られた石を幾層にも積み重ねた入り口にたどり着きました。
空を見る私の視界を邪魔するものが何もなく、そこにどっしりと待ち構える重厚な門。
要塞の入り口にいくと、黄色のジャンパーを羽織った婦人がいました。車がとまっていて、おじさんと何やら話していたので待ちます。
大人が500ft、学生が400ftです。
200円もしないという。非常に安いです。安すぎやしないか。
展示がいまいちなのではないかという不安があります。
安すぎるととんでもないクオリティが待ち受けている、というのを日々この国で感じてきましたから、その直感は多分外れていないでしょう。
しかしもう引き返せない。
旅行者風のジェスチャーして、チケットを買うことにします。
婦人は何も言わず付いて来いという首の傾げ方をしました。私は黙ってついていきます。
ここはすでに要塞の一部のようです。ひらけた空間につながる石畳の途中を右にいくと、スタッフルームに改装された要塞の部屋があります。待ち受ける要塞の広場らしきところに期待を膨らませながら、チケットの支払いをすませることにします。
部屋はあるものの、特に別のスタッフがいるわけではありませんでした。私の訪問時点ではスタッフは婦人1人でお客さんの対応をしているようでした。
私のような客がくるまでは立派な入り口のところで待ち、部屋に誘導して支払いをするという仕組みなのでしょう。
客もおそらく私1人です。もしかしたらその日の初めての客ですらあったかもしれません。
イグマーンディ要塞は、1871年から数年かけて建てられた要塞で、堀に囲まれています。
伸びきった枯れ草の広がる空間に私はたどり着きました。ここはイグマーンディ要塞の堀の中。
100年以上前にここで戦った兵士たちがいたのです。
しかし今は何もなさそうです。ただ、管理されてない草原が広がっている。
兵どもが夢の跡。
やはり、ここはちゃんとした観光地じゃなかったのか。
<続く>