私の中の西洋
異国で「外国人」として生きていくことは想像以上に色々な経験があります。
私は、英語で話す時は、外国人の方々の総称をinternational peopleと呼んでいました。
どこで覚えたのかは忘れてしまいましたが、foreignerと呼ぶのはなんとなく失礼だと思っていたからです。
日本にいたときは、日本在住の米国や英国の人たちと働く機会がありましたが、彼らは自身のことをforeignerと呼んでいました。
私がこの地で感じるのも、自分はただの極東のforeignerであるということです。
持ち得るアイデンティティらしいものは、「日本人」ということだけです。
異なる社会システムのなかで暮らし、20年以上住んできた日本の常識が通用しないと言う経験はなかなか興味深いです。しかしながら人間はよくできていますね、どんどん適応していっています。
凝り固まったと思っていた私のライフスタイルにも質的な変化はあるものだな、と感心しました。
私が感じられる感情の起伏の幅は、今よりもこれからきっと日に日に狭くなっていき、この生活も非日常から日常へと静かに転換していきます。
その時に私の中にはダブルスタンダードなものの見方があるのか、はたまたハイブリッドな思考が残るのか、楽しみです。
人間のからだは、食べたものから出来ています。例えば、肝臓のたんぱく質は約2週間で、赤血球は120日で、筋肉のたんぱく質は180日でその半分が入れ替わるらしいです1。
半年も過ごすと、私の筋肉は50% made in Hungaryになるということです。
この夜景は、夏のあるときに撮りました。
「異国」に対する憧憬が形而上的なものから、肉体的なものへとなった瞬間です。
幸福になる必要なんかありはしないと、自分を説き伏せることに成功したあの日から、幸福がぼくのなかに住み始めた
アンドレ・ジイド 「新しき糧」